廃止された高架貨物線を、そのまま2.4kmの公園にした
High Line
2009年6月に開園し、2014年9月にレールヤード区間、2019年6月に最後の Spur 区間が加わった。2019年6月の報道は年間約800万人が訪れる一方でジェントリフィケーションの原因だとする批判があると伝え、2024年7月の15年目の検証では、運営団体がその影響を認めて他都市に助言する High Line Network を立ち上げたことが語られている。
何をしたか
マンハッタン西側に放置されていた高架貨物線を、そのまま高い位置を通る2.4kmの遊歩道型の公園に変えたもの。所有はニューヨーク市で、運営は非営利団体 Friends of the High Line が担っている。開園は2009年6月である(ARCHITECT 2019年9月10日・Gothamist 2024年7月24日)。2014年9月20日には最後のレールヤード区間が公式に開園し、同団体が地域住民・ボランティア・事業者の行進を先導した(Nonprofit Quarterly 2014年9月25日)。さらに2019年6月に Spur 区間が加わって全区間がそろったため、「開園年」は区間ごとに2009年・2014年・2019年と分かれる。ここでは最初の開園である2009年を start_year に採った。建設費は Spur を除いておよそ1億8,700万ドルで、うち1億2,300万ドルを市が出している。2019年6月9日のAP配信記事によれば、かつて工場・駐車場・自動車修理業の並ぶ一帯だった沿線は、一方の端にホイットニー美術館、もう一方の端に250億ドル規模の複合開発ハドソンヤードを抱える区域に変わり、年間推定800万人が訪れている。同記事は同時に、公園が高層の高級コンドミニアムに挟まれるようになったこと、市外からの来訪者で混み合うこと、そして一部の批判者が急激なジェントリフィケーションの原因を High Line に帰していることを伝えている。
誰が始めたか
壊す側と残す側が争ったところから始まっている。 1980年に最後の列車が走ったあと、高架は20年ほど放置された。Gothamist(2024年7月24日)に出た歴史家 Annik LaFarge の説明では、取り壊しを求めたのは高架の下の土地を持つ人たちで、撤去後に上へ建てられれば大きな利益になるからだった。ARCHITECT(2019年9月10日)で共同創設者の Robert Hammond は、1990年代のジュリアーニ市長が10番街を高層住宅の並ぶ通りにしたがっており、高架をその障害と見ていたと語っている。
残す側は住民2人から始まった。 Robert Hammond と Joshua David は1999年のコミュニティ委員会の会合で出会い、取り壊しをめぐる議論の場で知り合った。2人は実際に高架に上がり、これを見て「もっと良く、もっと面白いことができる」と考えたと LaFarge は述べている。2人がつくった Friends of the High Line が、いまも運営を担う。
所有と運営は分かれている。 高架はもともとの鉄道会社の後継である CSX から市に寄贈され、所有はニューヨーク市、管轄はニューヨーク市公園レクリエーション局にある。そのうえで Friends of the High Line が公園の管理者(steward)となる形で、当時としては新しい官民連携の形だったと LaFarge は説明している。
いくらかかったか
建設費はおよそ1億8,700万ドルで、うち1億2,300万ドルを市が出した(ARCHITECT 2019年9月10日)。これは最後の Spur 区間を除く額である。
この投資は税収を前提に組まれていた。 同記事によれば、公園沿いの開発の多くは2005年の用途地域変更の結果であり、追加の固定資産税収が建設費を上回るという想定のもとで進められた。当初の見込みは市の固定資産税収を2億5,000万ドル増やすというもので、その後2038年までに9億ドルへ引き上げられた。
運営費は市が出していない。 Friends of the High Line が運営に必要な資金のおよそ9割を自ら調達している(Gothamist 2024年7月24日)。個人や団体からの寄付が中心である。
真似するなら最低何が必要か
この事例で真似できる単位は、高架の公園そのものではなく所有・運営・資金の分け方である。
第一に、壊す前に上がってみること。Hammond と David は取り壊しの議論の場で出会い、実際に高架に上がって残す側に回った。残す判断は、上に立ってからされている。
第二に、所有と運営を分けること。所有は市、管轄は公園局、管理は非営利団体という形で、運営費の9割を市の外から調達する構造になっている。行政の予算だけでは維持できない規模の公園を、行政の所有のまま持てる。
第三に、用途地域の変更と一体で立てること。建設費は追加の固定資産税収で回収する想定で、実際に2005年の用途地域変更が沿線の開発を呼んだ。公園単体の事業として立てると、この回収の道筋が無い。
第四に、開くのを区間ごとに分けること。2009年6月に最初の区間、2014年9月にレールヤード区間、2019年6月に Spur 区間と、10年かけて順に開いている。 全体が仕上がるのを待っていない。
第五に、ジェントリフィケーションを起きたあとに扱わないこと。運営団体はその影響が著しくなったことを早い段階で認識し、他都市に助言する High Line Network を立ち上げた(Gothamist 2024年7月24日)。同記事によれば、伝えている内容は地域住民を意思決定に入れることや、資金調達の実務である。 逆に言えば、この事例では最初の設計にそれが入っていなかった。
第六に、エレベーターを運営の中心に置くこと。2024年の番組では、車椅子を使う視聴者が、エレベーターが数週間から1年単位で止まることがあると述べている。高い位置の公園は、昇降機が止まると入口そのものが消える。
今どうなっているか
2026年8月時点で確認できたのは、2024年7月24日の Gothamist(WNYC)の記事までである。
ジェントリフィケーション批判に対して、運営団体は否定ではなく対応で応じている。 2024年7月、開園15年にあたって WNYC の番組に出た歴史家 Annik LaFarge は、Friends of the High Line がジェントリフィケーションの影響が著しくなったことを早い段階で認識したうえで、そこで得た教訓——地域住民を意思決定に入れること、地方政治の扱い方、資金調達の実務——を他都市に伝えるために High Line Network を立ち上げた、と述べている。同氏によれば、この公園はジェントリフィケーションの代表例であると同時に、産業遺構の転用の代表例にもなった。運営団体が批判そのものを否定した発言は確認できなかった。
同じ LaFarge は、自身が15年間この地区に住んだ立場から、街区がより白人的で裕福な場所に感じられるようになったこと、工事の騒音や粉塵が続いたこと、そして年6,000ドル程度の学費で地元の子が通えていた Church of the Guardian Angel School が閉校したことを挙げている。数ブロック北には学費が4万〜6万ドル規模の学校があるという。
利用上の問題も同じ番組で出ている。 車椅子を使う視聴者が、エレベーターが数週間から1年単位で止まることがあり、16丁目のものが停止していると述べた。これに対し LaFarge は、エレベーターは当初から問題であり、運営団体は復旧に強く取り組んでいる、14丁目のものは稼働していると答えている。市または Friends of the High Line 自身による説明は確認できなかった。
「High Line が地区を変えた」という因果そのものに留保をつける見方もある。 ARCHITECT の10年目の検証(2019年9月10日)で Karrie Jacobs は、公園沿いの開発の多くは2005年の用途地域変更の結果であり、追加の固定資産税収が建設費を上回るという想定のもとで進められたと書いたうえで、High Line が無くてもマンハッタン西側の再開発は起きただろうと述べている。
出典
- NYC High Line Completed:Is it a Net Positive for NYC? — Nonprofit Quarterly(2014-09-25)
- 10 years later, New York's High Line park brought big change — and gentrification — Global News(AP 配信)(2019-06-09)
- The High Line at 10 — ARCHITECT(Karrie Jacobs)(2019-09-10)
- How the High Line changed NYC: A 'poster child' for gentrification and adaptive reuse — Gothamist(WNYC)(2024-07-24)
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