1989年に彰化の民俗村へ売られ解体された木造駅舎を、住民が10年以上求め続け、募金と台北市の予算で元位置近くに移築復元し、101歳の誕生日に開館した
新北投車站
2003年頃から北投の住民が車站を迎え戻す運動を続け、2014年2月に部材が台北へ戻り、2017年4月1日に七星公園で再建・開館した。2018年4月30日に歴史建築へ登録され、2023年3月時点も台北市文化基金會の運営で誕生日の催しが続いている。
何をしたか
台北・北投の温泉街にあった木造駅舎「新北投車站」(1916年開業)は、1988年に台鉄淡水線が廃止されて使われなくなり、翌1989年、台幣1元で彰化県の遊園施設「台灣民俗村」に売られ、解体された。台灣光華雜誌(2013年6月号)によれば、2003年頃から北投の住民が「駅を北投に迎え戻す」運動を続け、住民団体「北投八頭里仁協會」は買い戻しの募金を呼びかけた。民俗村の債務問題や彰化県による古蹟指定の動きなど何度かの危機を経て、2014年2月に部材が台北へ戻り、台北市文化局の予算で元の位置から約50メートル離れた七星公園に再建された。2017年4月1日、101歳の誕生日に合わせて開館し、翌2018年に台北市の歴史建築に登録された。
誰が始めたか
運動を始めた時期と担い手について、出典の間で語りが異なる。 台灣光華雜誌(2013年6月号)は、2003年頃から北投出身の音楽家・陳明章氏のアルバム発表などを通じて住民の訴えが表面化したと書いている。一方、自由時報(2018年4月30日)は、地方人士が駅の里帰りを願うようになったのは2004年だったと書き、同じ記事の中で、地元の長安里長・陳章生氏が「当年(=その年)、迎え戻す運動を発起したのは自分だ」と語ったと伝えている。
募金と交渉の実務は、住民団体「北投八頭里仁協會」が担った。 台灣光華雜誌(2013年6月号)によれば、同協會の社區議題委員会主委・林冠宏氏は、所有権が競売にかけられた2012年、彰化の民俗村を視察し施設の荒廃ぶりを語り、協會が呼びかけた買い戻し募金は2013年6月時点で台幣60万元余りに達していた。自由時報(2014年2月23日)は、駅の部材が台北へ戻った2014年時点で、同協會の理事長・戴秀芬氏が住民に再建への参加を呼びかけたと伝えている。
再建の予算と手続きは台北市政府文化局が担った。 台灣光華雜誌(2013年6月号)によれば、同局は所有者の日榮資産管理顧問公司から無償寄贈の意向表明を引き出していた。その後、2016年5月に市の文化資産審議会が七星公園での移築案を可決した(自由時報2018年4月30日)。2017年4月1日の開館式では副市長・陳景峻氏がテープカットした(自由時報「新北投車站開幕慶101歲生日 文資團體卻諷「冥誕」」2017年4月1日)。
いくらかかったか
再建費用は台北市文化局の予算でまかなわれた。 自由時報(2014年2月23日)は、同局が七星公園での再建費用を「2千万元余り」と見積もったと報じ、同紙(2017年4月1日)は開館時点で「2千万元余りをかけた」と伝えている。
住民側の募金は、再建費用とは別に搬送・修復に充てられた。 台灣光華雜誌(2013年6月号)によれば、北投八頭里仁協會が呼びかけた買い戻し募金は2013年6月時点で台幣60万元余りに達し、全額を車站の搬送と修復に充てるとされていた。
参考として、1989年に彰化へ移築された際の費用も出典に記されている。 自由時報(2017年4月1日)は、当時の台灣民俗村創業者・施金山氏が、日本から瓦を取り寄せるなどして1千万元余りをかけて彰化での再現を行ったと書いている。これは今回の「里帰り」計画とは別の、彰化側の過去の支出である。
真似するなら最低何が必要か
第一に、行政が動くまで住民側が要望を発信し続ける粘り強さ。台灣光華雜誌(2013年6月号)によれば、北投の住民が「駅を迎え戻す」訴えを続けたのは2003年頃からで、実際に部材が戻ったのは2014年、開館は2017年であり、10年を超える時間がかかっている。
第二に、行政との窓口となる人脈。同記事は、当時の台北市文化局長・廖咸浩氏が北投出身であり、歴代の局長が車站を迎える交渉や募金に奔走したと書いている。
第三に、所有者との交渉で無償寄贈を引き出すこと。所有権が競売にかけられ私有財産になった後も、台北市文化局と地元関係者は所有者の日榮資産管理顧問公司から無償寄贈の表明を得た(台灣光華雜誌2013年6月号)。
第四に、住民団体が自ら募金を呼びかけ、当事者意識を可視化すること。北投八頭里仁協會の買い戻し募金は、金額としては台幣60万元余り(同記事)で、2千万元規模の再建費用全体からすれば一部にすぎないが、住民の意思を示す役割を果たした。
第五に、元の場所に戻せない場合の代替地を早期に決め、住民説明を尽くすこと。自由時報(2018年4月30日)によれば、原位置は道路に近く交通への影響が懸念されたため、2016年5月に約50メートル離れた七星公園での再建が審議会で可決された一方、文資保護の立場からは「原位置に戻すべきだ」という反対意見も残った。副市長・陳景峻氏は別の記事(自由時報2017年4月1日)で、同じ2016年5月中旬に開いた公聴会では出席者の99.9%がこの移動案を受け入れていたと振り返っている。
第六に、部材の劣化を見込んだ現実的な判断。彰化での保管中に使える部材が目減りしていたため、開館時の駅舎は紅檜木ではなく含水率19%の代替木材を使った(自由時報「流浪彰化26年終歸鄉」2017年4月1日)。台北文資環境守護聯盟は、原始部材が残るのはごく一部で老虎窗8個もすべて新造の模造品であり、車站は古蹟ではなく模型にすぎないと批判したが(自由時報「新北投車站開幕慶101歲生日 文資團體卻諷「冥誕」」2017年4月1日)、文化資産審議委員の詹添全氏は同記事で、写真で見る元の姿とほぼ変わらず可能な限り元の木材を用いていると述べ、古蹟の保存は必ずしも同じ場所に同じ材料で留めることだけを意味しないと擁護した。
今どうなっているか
2026年8月時点で確認できたのは、2023年3月30日の記事までである。 自由時報(2023年3月30日)によれば、新北投車站は台北市文化基金會によって運営管理されており、同年の誕生日には台鉄台北鉄路餐廳が期間限定の「酒家菜弁当」を売り出し、あわせて企画展「驛百年-時空的旅人與歸者」が開催されていた。それより後の運営状況は、参照した6本のどこにも書かれていない。
文化財としての身分は開館の翌年に確定した。 2018年4月30日、台北市文化資産審議会は新北投車站を歴史建築として登録することを決議した(自由時報同日)。同記事によれば、この審議でも、移築先が原位置でないことを踏まえた説明を求める文資団体の異論が示されている。
縮小や撤退を伝える記述は、参照した6本の中には無い。 ただし、材料の劣化を理由に文化財としての価値を否定する台北文資環境守護聯盟の批判(自由時報「新北投車站開幕慶101歲生日 文資團體卻諷「冥誕」」2017年4月1日、詳細は「真似するなら最低何が必要か」節を参照)は、その後の出典でも撤回や再反論の形では確認できず、賛否が並立したまま今日に至っていると見るのが妥当である。
出典
- 漂泊24年 回家在即 新北投火車站返鄉記 - 台灣光華雜誌 — 台灣光華雜誌(2013-06-01)
- 寄居彰化25年 新北投車站回北投 - 生活 - 自由時報電子報 — 自由時報(2014-02-23)
- 流浪彰化26年終歸鄉 百年新北投車站原貌曝光 - 生活 - 自由時報電子報 — 自由時報(2017-04-01)
- 新北投車站開幕慶101歲生日 文資團體卻諷「冥誕」 - 生活 - 自由時報電子報 — 自由時報(2017-04-01)
- 回娘家一年 新北投火車站取得歷史建築身分 - 生活 - 自由時報電子報 — 自由時報(2018-04-30)
- 新北投車站慶生 台鐵推出古早味「酒家菜便當」 - 生活 - 自由時報電子報 — 自由時報(2023-03-30)
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