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住む人を増やす・戻す交通・道路・駅5万人未満

津波で全壊した駅を内陸の高台に再建し、駅前に住宅・商業・公共施設を集約して住民の帰還を図った

女川駅

日本 / 宮城県 / 牡鹿郡女川町

津波で全壊した駅を内陸の高台に再建し、駅前に住宅・商業・公共施設を集約して住民の帰還を図った
© SUUMOジャーナル(リクルート) — この写真が載っている記事

開始(2015年)から3年以上あとの出典が3本ある。2019年に土木学会デザイン賞、2020年と2022年に内閣府広報誌が女川駅を取り上げている。

何をしたか

宮城県女川町は、東日本大震災の津波で全壊した女川駅を内陸の高台に移設・再建し、その駅前に商業施設や交流施設を集約した中心市街地を新たに整備した。第三セクターの女川みらい創造株式会社がテナント型商店街「シーパルピア女川」を運営し、NPO法人アスヘノキボウが移住や創業の支援窓口を担う。内閣府の広報誌によれば、住宅地から中心市街地へ人の流れを集約することで、人口減少が進むなかでも賑わいを持続させる町への再生をねらったという。

誰が始めたか

SUUMOジャーナルの取材によれば、水道も電気も止まったままだった震災8日後、産業界の関係者を中心とする地元有志が仮設の建物に集まり、まちの将来を話し合う会合を最初に持った。それから約1か月のうちに、商工会や水産業関係者らを中心とする女川町復興連絡協議会が発足したという。翌2012年1月30日には、30代・40代の若手世代がまとめた80ページの復興提言書が女川町と町議会に提出されている。

事業の実施体制は、土木学会デザイン賞の記録によれば女川町(事業主体)、独立行政法人都市再生機構 宮城震災復興支援本部(事業実施の総合調整)、女川みらい創造株式会社(商業施設事業主体)の3者が中心である。これに加えて、SUUMOジャーナルの取材では、2013年4月に設立されたNPO法人アスヘノキボウ(代表理事・小松洋介氏)が創業支援拠点「女川フューチャーセンターCamass」を運営し、移住や人材育成を担ってきたと述べている。小松氏は仙台市出身で、震災半年後の2011年9月に会社を退職して宮城県内の被災地を回り、同年10月に女川町に入ったとSUUMOジャーナルは伝えている。

いくらかかったか

土木学会デザイン賞の記録によれば、「女川駅前シンボル空間」(駅前広場・プロムナード「レンガみち」・商業施設・交流施設を含む一帯)の設計期間は2013年4月〜2015年3月、施工期間は2013年4月〜2016年12月で、事業費は約28億円(個別店舗・事業所の整備費を除く)とされている。整備面積は約7.0ha、駅前広場900㎡、プロムナード「レンガみち」は幅員15m・延長170m、商業施設「シーパルピア女川」5,200㎡、「地元市場ハマテラス」4,300㎡、交流施設「女川町まちなか交流館」2,800㎡という内訳が記されている。

個々の店舗・事業所の再建費用や、アスヘノキボウの運営費、災害公営住宅の整備費については、今回集めた出典からは確認できなかった。

真似するなら最低何が必要か

出典から取り出せるのは6つである。

1. 震災・危機の直後、遅くとも1か月以内に官民混成の協議体を立ち上げること。 SUUMOジャーナルによれば、女川町では震災8日目に有志の準備会、その約1か月後には商工会・水産業関係者らによる女川町復興連絡協議会が発足している
2. 意見を文書化して行政に提出すること。 同記事によれば、30代・40代を中心にまとめた80ページの復興提言書が2012年1月30日に町と町議会へ提出された
3. 駅の再建を、恒久的な安全対策(移設・かさ上げ)とセットで行うこと。 女川駅は津波対策として内陸へ移設し、かさ上げした土地に再建された。ただし移設距離とかさ上げの高さは出典間で食い違っており、discrepancies に並置した
4. 駅前を町有地化し、テナント型(賃貸)にして空き店舗を防ぐ設計にすること。 SUUMOジャーナルの取材で、NPO法人アスヘノキボウの小松洋介氏は「シャッター街はつくりたくなかった」と述べ、後継者不在による空き店舗を避けるため、メインストリート沿いの店をテナント型にしてエリアマネジメント機能を置いたという趣旨を語っている
5. 商業運営の主体(第三セクター)と、移住・創業支援の主体(NPO)を分けて置くこと。 女川みらい創造株式会社が商業施設事業主体、NPO法人アスヘノキボウが創業・移住支援という役割分担が、それぞれ別の出典から確認できる
6. 町の外から来る人を受け入れる方針を早い段階で明確にすること。 SUUMOジャーナルによれば、アスヘノキボウは、地元にいる人たちが長く住み続けられるように、離れた人が戻ってきて、新たに住みたい人が集まるように仕事をつくることを目的としている(これは同記事の地の文による説明であって、小松氏の発言ではない)

確認できないのは、駅前整備・NPO運営それぞれの財源の内訳(国費・県費・町費・民間資金の比率)と、災害公営住宅の整備費である。

今どうなっているか

2026年8月時点で確認できた女川町の人口は、町の統計で令和8年7月31日現在5,656人である。令和2年(2020年)の国勢調査人口6,430人は、平成27年(2015年)の6,334人から96人(1.52%)増え宮城県内で増加率第4位だったと、2024年2月のアゴラ掲載記事(永江一石氏)は伝えているが、その後は町の統計で人口が減少に転じている。

土木学会デザイン賞は2019年、「女川駅前シンボル空間」を最優秀賞に選んだ。 講評には二人分の署名がある。(長町)と署名された講評は、高台の住宅地と海と商業地が「海を眺める」視線でつながっている点を挙げ、この地に新たな起業・居住の魅力を生んでいると評している。(中井)と署名された講評は、駅そのものが応募範囲に含まれていない点を指摘し、受賞の意義を駅にも共有してほしいと述べている。この二人の役職は、受賞ページに書かれていない。

内閣府の広報誌Highlighting Japanは、2020年5月号・2022年2月号の両方で女川駅を中心市街地の中核として改めて紹介しており、2022年2月号の見出しは女川駅を「大震災からの復興のシンボル」と呼んでいる。

否定的な報道は、今回探した範囲では見つからなかった。ただし、女川町の地方紙にあたる河北新報(kahoku.news)はrobots.txtがClaudeの取得を拒否しているため、今回の出典には含めていない。

出典

  1. 建築家・坂茂の設計による女川駅が完成しました。 — カーサ ブルータス(マガジンハウス)(2015-03-23)
  2. 東日本大震災から5年半。女川町の“本格復興期”を支える「若者力」 — SUUMOジャーナル(リクルート)(2016-09-23)
  3. 過去の受賞作品(2019年最優秀賞 女川駅前シンボル空間/女川町震災復興事業) — 土木学会デザイン賞(土木学会景観・デザイン委員会)(2019-11-21)
  4. 津波災害からの復興と新しいまちづくり — Highlighting Japan(内閣府大臣官房政府広報室)(2020-05)
  5. 大震災からの復興のシンボル「女川駅」 — Highlighting Japan(内閣府大臣官房政府広報室)(2022-02)

最終確認日 2026-08-30

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